ド ドイツの旅 その4
バトラーの自称 藤本と申します でございます
いよいよ「ケルンコンサート」の日がやってまいりました。
私がキース・ジャレットと名乗っていた時代からいったい何世紀が過ぎたサンジェルマン。四半世紀くらいか。久しぶりにやって来たケルンは、想像とは違って初めてだった。
12時集合だから11時に余裕こいてシャワーを浴びてたら左脳に激痛がロベカルのように走りまくり、ベッドに倒れて11時58分、必死で必ず死んで、ロビーのソファでぐったりしていたら、八木さんとツーショットを撮られた。八木さんは箏手としては異色の経歴で、始めたのがものすごく遅く、師匠のところに内弟子てもまるで異世界にまぎれこんだようだったらしい。それでヨーロッパなんかで異色セッションを数多く頑張っているので、私は「箏欧州」と言いました。
左脳はもうあきらめて、早く借りた箱詰新品ドラムを出してセッティングしなければと、文化会館につくと、なんとドラムが箱から出して並べてある。実務すべて係のヨアヒムさんが、やってくれていたのだ。ヨアヒムさんは、音響、照明、車の運転から庭掃除まで、65歳で腰痛ベルトを締めて物凄いテキパキとやる人なのだ。しかも日本語上手で書道の先生までやっているという尊敬しまくりの大親切若々しいのだ。井野バンマスとは旧知の仲で大喜びで抱き合っていた。私も次に来た時には抱き合えるかもと、ドキドキしたが、もう定年なのだ。
腰と左脳と右肩に不安を抱える私がセッティングを始めようとすると、今度は中村副団長がどんどんやってくれる。副団はブラジルの中の日本といわれる大泉町の出身で生粋のカリオカなのでロナウジーニョのようにパーカッションはなんでもすぐ理解しちゃうのかと思いました。おわり
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
箏欧州…。一本。井上康生の内またみたいにキレイに取られました。ステージの写真見ると確かに箏、大きいですね。普通、琴柱ってあんなにたくさんあったっけ?どんな音だったんでせう。聞きたかったなぁ…。
投稿: nyt | 2006年6月 5日 (月) 20:59